徒然なるままに
My Natural Garden & Cafe
こころ

結果を求めない

何か始めようとするとき、結果を得る手段として始めると、思うように結果が出てこないと長続きしません。

巷には、短期間で結果を得るためノウハウ本が溢れています。「6ヶ月で英語が聞き取れるようになる!」、「1ヶ月で5kg痩せる!」とか。そんな本が後を切らず出版されるのは、それだけ需要があるからです。いつの時代も人は、欲しい結果を簡単に得られる方法を求めているのです。

なので、”結果にコミットする”という謳い文句はアピールします。

でも、結果に釣られて今を犠牲にすることを強いているので、結局しんどくなって挫折で終わるのです。

挫折して、しばらくして、また別のノウハウを聞くと思いついたように、今度こそは上手くいくかもと挑戦したり。或いは普段の生活にハリがないから、またちょっと手を出して見たりして、また同じことになって、そんなことを繰り返します。

そいう意味で目標を立てるのも、達成のための手段として目標を立てるので、途中で放棄されることが多いのです。身近な人に目標を話して拘束力を持たせるといいなんて助言する人もいますが、苦しみの種になるだけ。無理が効く若い時なら良いかもしれませんが。

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何かを求めて挑戦することが良いことのように喧伝されながら、実際はそのための努力を続けられる人は多くありません。

成功するまで努力した人が成功者の称号を与えられる、というような言い方がされますが、そうかも知れませんが自虐的にも聞こえます。

そもそも、人が結果を求めるのは何故かを考えてみたのですが、思い至ったのが、それは、結果を求めるこころというのが、自己否定から発しているからというものです。 

「今の自分に無い」という思いが根底にあって、だから無いものを求めて努力することは、自分は足りない、と自分に絶えず強調しているようなもの。結果を求めれば求めるほど苦しくなります。

しかし、絶えず私たちは何かを求めるよう条件づけられていると言ってよいです。短期間でこれこれが手に入りますよ、という宣伝に晒され、手に入れて自信を持ちたい、自分が重要だと思いたい、など自分に不足していると思う何かを補償しようとして、頑張り始めるのです。またそれが良いことのように言われているのです。だいたい支配的な立場にいる人・組織がそう言って他人を自己の利益のために利用するのです。

内発的な動機からでなく、他人への羨望や自己不全感が発端になっていると、何を企てても苦しみが返ってきます。

上手くいっている他人を見て、自分もそうなりたいと思い努力するのは、いつまでも満たされない生き方なのです。自戒を込めて、ちょっと厳しいですが、そういう生き方に巻き込まれているのは自分がそういう選択を許しているからで、そう気付いたら勇気を持って断ち切ることが必要だと思います。

 今の自分を肯定し、他人から評価を求めない。他人の評価で自分の価値を決めるなら、他人に自分の力を売り渡しているのです。自分の価値を他人に証明する必要などないのです。

SNSでフォロワーや”いいね!”の数で自分の価値が決まるとか、どこかで思っていると不毛な努力をすることになるでしょう。

結果にとらわれない、あるがままでいることは難しいですね。荘子に「尾を泥中に曳く」という言葉があります。https://kotobank.jp/word/尾を泥中に曳く-448344

とりあえず生きているだけで幸せなこと、と思えるような瞬間が日常にあると良いですね。

喧騒を離れ、自然豊かな場所に身を置くというのは、忘れていたことに触れられる良い方法だと思います。

ではまた。